HELLO YOSHIWARA 2023 トークレポート #2:[創作酒肴 雪月花]千文&[東海道表富士]西川卯一
〈HELLO YOSHIWARA 〜吉原商店街に出会おう!〜 2023〉の一環として、「街歩きツアー」を振り返るトークイベントが開催されました。このレポートでは、B日程の10月1日に行われた2つのツアーを振り返る合同トークイベントの模様を、ツアーの内容も交えてお届けします。
吉原商店街の店主である「創作酒肴 雪月花」千文さんと「東海道表富士」西川卯一さんがそれぞれの自由な発想で企画した「街歩きツアー」は、各自が組むアーティストが制作する「店主が主役の作品」制作の起点となります。
同じ街を異なる視点でめぐる今回のツアー。しかしツアー後のトークイベントでは、長い歴史の中にある、「吉原」と「水」「人々の営み」の関係性について新たな発見を得られる時間となりました。
(文:上田桜子 / 編集・写真:吉原中央カルチャーセンター)
参加店主とアーティスト
『つわものどもが夢のあと』
街歩きの案内人「創作酒肴 雪月花」千文さん
東海道新幹線と同い年の女将が営む昭和な居酒屋「雪月花」。BGMは1930年代頃のホンワカパッパ♪なアメリカのJAZZ。目標はあの頃の ハイカラなおばあちゃんち!
作品を作るアーティスト 安藤智博さん(していいシティ)
大学で都市開発を専攻し、卒業後は大学職員やシンクタンクにて特別研究員(デザインリサーチ)、東大i.schoolを経て独立。2021年アーバニストユニット“していいシティ“を立ち上げ、都市を起点に制作を行う。2022年秋にアーツカウンシルしずおか主催「マイクロアートワーケーション」で1週間吉原商店街周辺に滞在。アーティストランレジデンス「6okken」共同設立メンバー。
『富士山の先端をたどる』
街歩きの案内人 「東海道表富士」西川卯一さん
2007年、富士市吉原商店街に「富士山専門ギフトショップ東海道表富士」を開業。 2012年より富士山登山ガイド業をはじめる。山伏としての修行経験も活かし、〈富士山専門登山ガイド〉として海抜0mから富士山山頂までを案内する。富士山登山回数は約100回にのぼる。テレビ・ラジオにも多数出演し番組中でガイドを担当する等、富士山の魅力を伝え続けている。
作品を作るアーティスト 三木麻耶さん
1987年大阪生まれ。2013年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科油絵専攻 卒業。2015年 東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修了。世界を形作るものたちへの興味を起点に、日々を生きる最中から見つかる思考、そのプロセスを表すものとして作品を制作する。
女将と常連客の記憶がつくる地図をみながら
まずは「創作酒肴 雪月花」千文さんが企画した街歩きツアー、題して「つわものどもが夢のあと」。千文さんお手製の吉原商店街の地図に沿って行われました。
曰く、千文さんの小学校から高校までの記憶と、雪月花のお客様がたの記憶を織り交ぜてつくったそう。当時の商店街は大きな百貨店、そしてアミューズメントパークなどもあって、美味しいもの、綺麗なもの、高級なもの、面白いものとの出会いはみんな吉原商店街だったのだとか。千文さんにとって、この街歩きツアーはどんな思いで企画されたのでしょう。
「初めて〇〇を買う、という体験は全部吉原商店街でした。私の幼少期から青春時代を作ってくれた吉原、今は当時あったお店がほとんどなくなって少し寂しいけれど、街を歩いてみるとかつての看板や建物はそのまま残っていたりする。それを見て『あ〜ここで、こういうことがあったな〜』と思い出して、雪月花のお客様と語り合うのが、いまはとても楽しいんです。“つわものどもが夢のあと”なんて切ない気持ちもあるけれど、街にはまた新しい人が集まって、新しい夢を作り出している。そんなことを思いながら、みんなで当時の街にタイムスリップするつもりでツアーを企画しました。」(千文さん)
「千文さんの思い出トークと共に街を見直すのは面白かったです。一人よりも、大勢で『あれ?ここってなんだったっけ?』なんてお互いの記憶を確認しあいながら当時の景色を蘇らせていく体験ができました。」(参加者A)
「昔は吉原には百貨店「デパート』があってよく買い物に行っていました。千文さんの作ってくれた地図を見ながら、吉原への憧れみたいなものが思い出されました。」(参加者B)
街歩きに参加した地元の皆さんからの感想に対し千文さんも「つっかけサンダルじゃ行けない場所なんだよね、吉原って!」と一言。幼い頃の千文さんには、吉原はそれほどにちょっと背伸びするような街に見えていたに違いありません。
大地の記憶から、吉原の輪郭をたどる
続いて「東海道表富士」店主が企画したツアーの紹介。富士山から地下を経由して流れ出た水が湧き出す地点を結びつけながら、富士山の輪郭線を発見していくというものでした。夏場の富士山開山シーズンは登山ガイドとして精力的に活動し、生まれも育ちも吉原という西川さんはツアーの意図についてこのように説明しました。
「吉原の周辺には、富士山の水脈がタコの足のように巡っているんです。そして、街を歩けばその先端が、湧水や溶岩として表に出てきている。実際の富士山は少し遠く感じるかもしれませんが、実は、富士山は吉原という街のすぐ近くに存在しているということを実感してもらえるように企画しました。」(西川さん)
ツアー中は、熱心に映像記録をとり、ひとり足を止めてじっくりと水の流れや川の様子を見つめていた三木さん。西川さんの案内する吉原の街は、三木さんにどう映ったのでしょうか。
「この街の、地面の起伏も、川の流れも、あらゆることが富士山に起因していることを実感しました。コンクリートを打ちやぶって小さな穴から水が湧き出す様子はとても神秘的で、自然の強さに感動しました。街歩きのゴールである小さな公園(栄町児童遊び場)は田宿川の湧水群のすぐ横にあって、本当に気持ちがいい場所でした。いろいろな人に足を運んで、富士山の湧水の美しさに触れてほしいですよね。」(三木さん)
ツアー中、参加者らの注目を集めたのは、異なる水流の湧水同士がぶつかって川の流れが釣り合う不思議な場所。「ああいった景色は日本中探してもなかなか出会うことができないんですよ。」と西川さんは話す。
「工場がたくさん稼働して、商店街もある吉原。でも、ちょっと目をやると、富士山という大自然の恩恵がそこらじゅうにあって。この街のギャップやポテンシャルを感じられたツアーでした。」(参加者A)
「水が湧く場所を通るとどこか涼しくて、居心地が良かったです。普段も車で通るだけで気持ちいい風が入ってくるんですよね。こういうところに人々が集まって、生活が作られていったのかなと思いました。」(参加者B)
街歩きに参加した人からのコメントに対して西川さんは「富士市は秘められた魅力がとてもたくさんある場所。国際的な観光地として、もっと発信していけるのではないか」と太鼓判を押してくれました。
水が行き交う場所が、宿場町として人々の営みを支えた
「富士山の先端を巡る」という街歩きのテーマに対し、山の頂上を思い浮かべて参加したら「先端=水」のことということが分かり意外だった、という感想を話した参加者に対して、卯一さんも独自の考えを述べます。
「人間って先端をシンボル化して、神聖なものと捉える習性がありますよね。富士山のてっぺんと水の湧き出すところ、ふたつの『先端』を目指して、集まって、暮らしを作っていく。吉原もそんな先端の集まりのひとつなのかもしれません。」(西川さん)
千文さんもこの考えには納得の模様。
「水があって、人々が集まり、やがて新しい命も育まれ、街も栄えていく。そういう点では、“性”に関連する商売や営みが生まれるのも自然なことで、吉原に風俗店が多かったのも納得できる気がします。水が豊富で恵まれた街だったけれど、一方で水害などにも悩まされていた時期もあったみたいです。水たちと持ちつ持たれつ、うまくやってきたんですね。」(千文さん)
「この街の隣に流れる富士川は日本でも有数の急流だったんです。宿場町だった吉原には、その富士川を命懸けで越える前夜の旅人たちが心を癒しにやってきたそうです。そういった背景もあって、風俗業も盛んだったのではないかな。」( 西川さん)
「国体の誘致や天皇の訪問などもあって、そういったお店は無くなってしまった」と、しみじみ話す参加者のみなさん。形としては消えてしまったけれど、富士山の水と、吉原の人々の営みとの強いつながりは、この街や人がしっかり記憶してくれているのですね。
みんなが「捨てられない」吉原商店街を捉えたい
さて、今回の街歩きを経てそれぞれのアーティストはどのような制作活動を進めていくのでしょうか。まずは、安藤さんの現時点でのイメージについて聞いてみました。
「雪月花に集まるお客さんと、千文さんの思い出によって作られた地図は『記憶を頼りに作られた』ので、正式な地図として使うことはできないんですよね。それでも、これを見た人には響く情報が詰まっていて、この街を捉え直す大きなきっかけを作ってくれている。それってとてもいいなと思いました。まだ構想中ではありますが、千文さんのように吉原の人々の思い出からなにか作品にできたらと思います。
例えば、吉原に住む皆さんのお宅の押し入れを覗かせていただく。押し入れには、使っていないけど捨てられないガラクタが眠っていると思うんです。それにまつわるエピソードを私が聞きながら、吉原に住む人々のルーツやアイデンティティをたどっていけたらと思います。」(安藤さん)
三木さんも、千文さんが語るからこそ蘇るかつての吉原の姿が楽しみであると目を輝かせました。「語り手、聞き手が変わるだけでまた新しい吉原の姿が見えてくるのでしょうね。」
「雪月花へお邪魔したときも、千文さんはずっと世間話をしているのが印象的でした。そういう中で、お客さん達もふと話したくなることがあったり、思い出すことがあって、会話が生まれていくのだと思います。雪月花の世界観が作り出したこの地図、大いに参考にしたいと思います。」(安藤さん)
二人の会話に、千文さんも「お客さんが私に話してくれたのは昭和50年代くらいの吉原商店街。安藤さんにはどの時代のどんな吉原の姿が語られるのか、楽しみですね!」とコメントしました。
富士山と共にある吉原を作品に
三木さんはなんと後日西川さんの峯入り(山伏が田子の浦港から富士山を経由し、山梨県精進湖へ4日間かけて行脚する修行)に同行し、さらに富士山との距離を縮めていくのだとか。作品の構想について問うた時、あるキーワードが語られました。
「以前、作品の鑑賞者から『三木さんの作品は祈りだと思う』と伝えられたことがありました。確かに私は『生きること』や『祈り』にまつわる制作をしているのかもしれない、としっくりきた感想です。今回の制作もそうなるのだろうと感じています。」(三木さん)
「富士山そのものに祈りをささげてきた歴史、今回の街歩きでも見られたように、水のあるところには水神様を祀ってきた文化があります。富士山、吉原の街、水の関係性が『祈り』というキーワードで繋がっていくのは嬉しいことです。」(西川さん)
「川の中をよく見てみると、小魚やサワガニたち、梅花藻、水草などたくさんの命が元気に活動していたのが印象的でした。この富士山の湧水群が育む自然、その水の流れに逆らうことなく、寄り添って作られた道と家々と暮らし、その水が吉原の足元を経て田子ノ浦に注ぎ、大きな海に合流するこの一連が、作品から感じられたらと思います。」(三木さん)
安藤さんも西川さんのツアーに興味を示していました。
「人々の暮らしと自然、地理的情報には密接な関係があるということを、西川さんのツアーを通して五感で感じることができたのではないでしょうか。そういう経験を伝えていくことはとても重要ですよね。」(安藤さん)
加えて、三木さんは「せっかくなので安藤さんの(過去プロジェクトで扱っていたツールである)古ゴザを水辺に置いてほしいな。本当に気持ちよかったから」と提案。安藤さんも「いいですね。吉原でも人々が外で休息を取る日常が生まれるかもしれませんね。」と乗り気で答えてくれました。
編集後記
トークイベントの会場となった鯛屋旅館。なんと、ここの一角に千文さんが作成したものとかなり近い吉原周辺の地図の江戸時代版が張り出してありました!「だんごや」「呉服屋」「河童の出る橋」など時代を感じさせる要素がてんこ盛りのこの地図。きっと千文さんのような街のキーパーソンが、行き交う人々から街の記憶を呼び起こし、地図にしてくれたに違いありません。
富士山という大きなシンボルに見守られ、水と共存し、多くの人が立ち寄り旅立った場所・吉原。今回のトークでは、大昔から今日に至るまで、あらゆる記憶が混ざり合うこの街のいろんな「端っこ」に触れることができたように感じます。その端っこを見逃さず、伝え受けていくのが、吉原に住む人々の営み。もしかしたら〈HELLO YOSHIWARA〉も、何十年後、何百年後、吉原を語る上で欠かすことのできないユニークな情報源になっているのかもしれません。ここで生まれるたくさんの会話、言葉、作品が歴史的な瞬間になることを感じながら、吉原の街を改めて歩きたくなりました。(ライター 上田桜子)